最強の空手家といったら、どの空手家を連想するでしょうか?
たくさんいる空手家のなかでも、最強の全日本王者としてたびたび名前をあげられるのが、不動明王と呼ばれた「数見肇」氏。
今回は、そんな「数見肇」氏について、現役時代の活躍から現在の活動まで、詳しく解説していきます。
- 数見肇とはどんな空手家?
- 数見肇の実績が知りたい
- 数見肇は現在、どんな活動をしているの?
こんな疑問にお答えします。
記事の信頼性
真二@筋肉ブロガー(@shinji_sonohata)
この記事を書いている僕は、極真空手歴22年。
15歳で極真会館に入門し、現在も日々稽古に励んでいます。
今回、紹介する数見肇氏は、不屈の精神力と驚異的な破壊力のローキック、さらに安定した試合運びで、第7回世界大会では日本代表のエースとして活躍しました。
また、全日本大会優勝5回、極真空手最大の荒行である百人組手完遂という大記録を達成した空手家なんです。
僕が極真会館に入門した当初、全九州空手道選手権大会にゲストとして来られており、サインをいただきました!(オーラが凄くて、とても怖かった思い出…)
そんな偉大な空手家である、数見肇氏の現役時代の活躍や現在の活動について、極真空手歴22年の僕が解説していきます。
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脅威のローキック!最強の空手家数見肇とは?
不動明王と呼ばれた最強の空手家数見肇は、いったいどんな人物だったのでしょうか?
極真史上最強の全日本王者との呼び声も高い数見肇の強さ、また極真空手最大の荒行である百人組手や第7回世界大会での活躍まで、詳しく深掘りしていきます。
数見肇の概要
数見肇は、神奈川県出身の空手家。
1971年12月14日生まれで、現在51歳(2023年10月現在)
13歳で国際空手道連盟極真会館総本部道場(松井派)に入門し、当時は指導員だった「松井章圭」館長の指導を受け、高校入学後に東京城南川崎支部に移籍。
名師範である「廣重毅」氏(極真武道空手連盟極真拳武會 創設者 2018年4月18日没)のもとで稽古に励みました。
1992年第24回全日本空手道選手権大会に当時20歳で初出場し、3回戦では極真のレジェンド「増田章」に試割り判定で勝利し大金星。
その後も歴代世界大会代表選手を次々破る快進撃で、決勝戦まで進出するも、極真の重戦車「田村悦宏」に惜しくも敗れて準優勝となりました。
とはいえ、初出場ながら決勝戦まで進んだ選手は、極真空手史上で数見肇ただ一人。
翌1993年第25回全日本空手道選手権大会では、前回大会の大活躍で他の選手からマークされているなか、見事に決勝戦まで勝ち進み、再び田村悦宏と対戦。
前回の雪辱を果たし、史上最年少21歳で初優勝を飾りました。
その後も大活躍をし、
- 全日本空手道選手権大会優勝は通算5回
- 全世界ウェイト制空手道選手権(重量級)優勝
- 全世界空手道選手権大会準優勝通算2回
- 百人組手完遂
という素晴らしい大記録を打ち立て、極真空手の歴史に名を刻んだ空手家なんです。
現役時代の体格は、
- 身長:180cm
- 体重:100kg
めぐまれた体格と精密機械のように安定した試合運び、そして重いローキックを武器に、日本の砦として長くに渡り極真空手界を牽引してきました。
脅威のローキックで外国人選手を圧倒
数見肇の代名詞といえば、驚異的な破壊力を誇る重いローキック。
その威力は、なんと「2112㎏」というとんでもない数値を叩き出しているんです!
さらにローキックのバリエーションも豊かで、「太ももに叩き落とす単発の重いローキック」や「膝頭を壊す内股へのローキック」、「絶妙なタイミングで合わせるカウンター」などで、相手の足に確実なダメージを与えていました。
また、これまで何度も強豪外国人選手にたくさんの日本の強豪選手が敗れたときにも、数見肇が最後の砦として空手母国日本の王座を守り抜いてきたのです。
なかでも、もっとも印象的だった試合をひとつご紹介します。
1995年第6回オープントーナメント全世界空手道選手権大会 準々決勝 対グラウベ・フェイトーザ(ブラジル)
世界大会初出場の数見肇でしたが、安定した組手で順当に勝ち上がり、準々決勝戦では強豪ブラジルの人間兵器「グラウベ・フェイトーザ」と対戦。
長身のグラウベは、遠い距離からリーチのある正拳突きや中段回し蹴り、得意のブラジリアンキックで圧力をかけ、接近戦になると腰の高い位置からの膝蹴りで、数見肇が腰を折らるシーン多くも見られました。
しかし、数見肇はグラウベが前の試合で下段にダメージを抱えていることを見逃さず、グラウベの右奥足に、重く鋭い下段回し蹴りを集中攻撃し、膝を粉砕!
なんとか技ありで持ちこたえたグラウベでしたが、数見肇はさらに下段回し蹴りで追い打ちをかけ、グラウベは戦意喪失し、見事に合わせ一本勝ちで勝利しました。


準決勝戦では、同じく強豪ブラジルのエースである怪物「フランシスコ・フィリオ」に試し割り判定で勝利。
続く決勝戦では、日本のエース八巻建志に惜しくも本戦判定負けし、準優勝に終わりましたが、世界大会初出場ながら強豪ブラジル勢を見事に倒し、空手母国日本の威信を守り抜いたのです。
第6回全世界空手道選手権大会 準々決勝 数見肇VSグラウベ・フェイトーザ
百人組手を完遂し第7回世界大会へ
第6回世界大会後の全日本大会で3連覇した数見肇は、1999年3月13日に極真空手最大の荒行である百人組手に挑戦しました。
百人組手とは、1人1分30秒間で連続して100人と闘う過酷な荒行で、過去長い極真空手の歴史のなかでも、完遂したのはわずか11名。(2023年現在の公式記録)
数見肇の百人組手では、同年行われる世界大会代表選手をはじめとした、多くの強豪空手家たちが対戦相手をつとめ、過去最高レベルの百人組手となりましたが、一度も負けることなく見事に完遂しました。
ただし、完遂直後に体調不良となり即病院へ直行し、そのまま入院となったことからも、数見肇の精神力や忍耐力のすごさがわかります。
数見肇の百人組手の記録はこちら。
- 達成日:1999年(平成11年)3月13日
- 組手時間:3時間20分40秒
- 所要時間:4時間7分
- 一本勝ち:16
- 優勢勝ち:42
- 引き分け:42
- 負け:0

その後、同年11月第7回世界大会に日本代表のエースとして出場。
過去最高の仕上がりで世界大会に挑んだ数見肇は、持ち前の試合運びの上手さと重く鋭いローキックで順当に勝ち進み、準決勝ではグラウベ・フェイトーザとの再戦となり、見事に優勢勝ち。
前回の第6回大会に続き、再び決勝戦へと駒を進めました。
決勝戦は、前回の世界大会準決勝戦で下した、強豪ブラジルのエース「フランシスコ・フィリオ」との一戦。

序盤からお互いゆずらない攻防となり、本戦、延長戦でも決着がつかず再延長戦までもつれ込む大接戦!
事前に行われていた試割りで失敗していたため、再延長戦で決着をつけたい数見肇でしたが、再延長戦は引き分けとなり、無情にも試割り判定で敗れ準優勝に終わりました。

第7回全世界空手道選手権大会 決勝 数見肇VSフランシスコ・フィリオ
第34回全日本大会を制し通算5度目の優勝
第32回・第33回全日本大会を欠場していた数見肇でしたが、第34回全日本大会に出場。
第34回大会は、第8回世界大会の日本代表選抜戦となっており、極真会館の選手だけではなく、正道会館など他流派の強豪選手たちもこぞって出場したハイレベルな大会だったのです。
数見肇は、試合前から痛めていた右足を、試合中に脛から甲にかけて亀裂骨折してしまい満身創痍の状態でしたが、なんとか決勝戦まで勝ち進みました。
決勝戦の相手は、数見肇不在の全日本大会を2連覇している後の世界チャンピオン「木山仁」との対戦。
真の日本のエースを決める世紀の一戦となりましたが、再延長戦で木山仁を退け通算5回目の全日本大会優勝を飾りました。

数見肇の主な戦績
ここからは、数見肇の現役時代の戦績を見てみましょう。
主な実績(現 極真松井派)
- 第24回オープントーナメント全日本空手道選手権大会 準優勝
- 第25回オープントーナメント全日本空手道選手権大会 優勝
- 第26回オープントーナメント全日本空手道選手権大会 準優勝
- 第6回オープントーナメント全世界空手道選手権大会 準優勝
- 第28回オープントーナメント全日本空手道選手権大会 優勝
- 第29回オープントーナメント全日本空手道選手権大会 優勝
- 第30回オープントーナメント全日本空手道選手権大会 優勝(全日本3連覇達成)
- 百人組手完遂(組手時間:3時間20分40秒 一本勝ち16、優勢勝ち42、引き分け42、負け0)
- 第7回オープントーナメント全世界空手道選手権大会 準優勝
- 第2回オープントーナメント全世界ウェイト制空手道選手権大会(重量級) 優勝
- 第34回オープントーナメント全日本空手道選手権大会 優勝
以上の戦績を見てわかるとおり、すべての大会で優勝または準優勝となっており、第6回世界大会以降の7年間では、負けはたったの1回。
しかも、その負けた試合というのは、第7回世界大会決勝戦での試割り判定による負けだったため、実際の組手では負けてないんです!

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現在は自身の空手を追求し、自分の道場を設立
現在の数見肇は、どういった活動をしているのでしょうか?
第34回全日本大会で5度目の優勝を飾った数見肇でしたが、大会終了の数日後に現役引退を表明し、同年12月に極真会館(松井派)を脱退。
しかし、これは恩師である廣重毅師範が、除名処分になったことによる影響が大きいといわれています。
そのため、翌年1月には、盧山初雄師範と恩師である廣重毅師範が設立した極真空手道連盟極真館の副館長として移籍。
その後、同年6月に自身の空手を追求するために、日本空手道数見道場を設立しました。
現在は、自身の空手をさらに磨きつつ、道場生の育成や空手を普及するための活動を行っています。
まとめ
今回の記事では、最強の空手家としてたびたび名前をあげられる、「数見肇」氏について詳しく解説しました。
数見肇は、破壊力抜群の重いローキックと安定した試合運びで、全日本大会の優勝回数は通算5回!
さらに、世界大会でも準優勝2回という素晴らしい戦績をおさめています。
世界大会で優勝することはできませんでしたが、空手母国日本の危機を何度も救った偉大な空手家なんです。
現在も自身の空手を追求し活躍している数見肇氏から、今後も目が離せませんね!
数見肇氏については、ご紹介したいことがもっとたくさんあったのですが、あまりに活躍しすぎて書ききれなかったので割愛しました…(汗)

また次の記事でお会いしましょう!
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