一撃の竜(ドラゴン)と呼ばれた伝説の空手家、成嶋竜。
全盛期を知るファンなら、その圧倒的な強さと華麗なKOシーンに魅了されたことでしょう。
「なぜ、あれほどの選手が極真会館を脱退してしまったのか?」と、その後の動向が気になっている方も多いのではないでしょうか。
本記事で解決できること
- 成嶋竜がどんな空手家だったのか知りたい
- 成嶋竜の現役時代の戦績が知りたい
- 成嶋竜が極真会館(松井派)を脱退した理由が知りたい
本記事の執筆者
真二(@shinji_sonohata)
この記事を書いている僕は、筋トレ歴・極真空手歴20年以上を誇る現役の空手家。
これまで極真空手をベースに自重トレーニングやウエイトトレーニング、どちらも本格的に取り組んできました。

今回の記事では、成嶋竜がどんな空手家だったのかや極真会館を脱退した理由について詳しく解説していきます。
\成嶋竜の現役時代のKOシーン・一撃テクニックが満載!/
KOアーティスト!成嶋竜とはどんな空手家?
「一撃の竜(ドラゴン)」や「KOアーティスト」の異名を持つ成嶋竜。軽量級でありながら、強烈な一撃で多くの強豪選手をマットに沈めてきた極真空手の歴史に名を刻む名選手です。
ここでは、成嶋竜がどのような空手家だったのか振り返っていきましょう。
成嶋竜の概要
成嶋竜は、1968年9月5日生まれで東京都西多摩郡瑞穂町出身の空手家です。
日本空手道連盟葉隠塾塾長である成嶋弘毅氏の長男として生まれ、幼少期から空手の英才教育を受けて育ったといわれています。
その後、自らの意思で国際空手道連盟極真会館に入門。強烈な突きと一撃必殺の左上段廻し蹴りをはじめとした多彩な蹴り技を武器に活躍しました。
現役時代の体格は、
- 身長:168cm
- 体重:68kg

一撃必殺の左上段廻し蹴りでKOの山を築く
成嶋竜の代名詞といえば、やはり一撃必殺の左上段廻し蹴りでしょう。
見えない角度から繰り出される左上段廻し蹴りは、多くの強豪選手たちを一撃で失神させていました。
あまりの切れ味に、対戦相手は蹴りを警戒するあまり自分の組手ができなかったほど。

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第7回世界大会ベスト8入賞を最後に引退
かねてから痛めていた左膝のケガにより一時期は大会を欠場していましたが、第16回全日本ウエイト制大会(軽量級)で復帰します。
決勝戦では、復活を証明するような左上段廻し蹴りで一本勝ちを収め、見事に優勝。第7回世界大会出場への切符を手にしました。
第7回世界空手道選手権大会は、成嶋竜の現役最後となった大会です。
1回戦を左の三日月蹴りで一本勝ちすると、続く2回戦も左上段廻し蹴りを放ってからの左正拳突きで2試合連続の一本勝ち。
続く4回戦・5回戦では、自分よりもはるかに大きな外国人選手に対して真っ向勝負で打ち勝ち、まさに神がかったような強さで準々決勝まで勝ち進みました。
準々決勝の相手は、当時K-1でも大活躍した外国人最強の空手家「フランシスコ・フィリォ」選手です。


フランシスコ・フィリォは成嶋竜の左上段回し蹴りを警戒し、ブラジリアンキックや横蹴りで牽制して懐に入らせない展開が続きます。
一方の成嶋竜は、体の大きなフランシスコ・フィリォに対して果敢に懐に入ろうとしましたが、最後まで攻めきれずに判定負けとなりました。
敗れたものの、無差別級の世界大会で軽量級選手がベスト8入賞にしたという実績は、極真空手史上初の快挙だったのです!
成嶋 竜の主な実績
ここでは、成嶋竜の現役時代の戦績をご紹介しましょう。
主な戦績(極真会館松井派)
- 第11回オープントーナメント富山大会 優勝(全試合オール一本勝ち)
- 第11回全日本ウエイト制空手道選手権大会(軽量級)準優勝
- 第12回全日本ウエイト制空手道選手権大会(軽量級)優勝
- 第6回全世界空手道選手権大会 ベスト16
- 第13回全日本ウエイト制空手道選手権大会(中量級)優勝
- 第1回世界ウエイト制空手道選手権大会(軽量級)第3位
- 第16回全日本ウエイト制空手道選手権大会(軽量級)優勝
- 第7回全世界空手道選手権大会 8位入賞
全日本レベルの大会でこれだけの優勝を勝ち取るなんて、本当に素晴らしい戦績です。

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極真会館(松井派)を脱退した理由
現役引退後は、国内のみならず世界各国の道場で後進の指導に励んでいました。
しかし、2021年8月に父である成嶋弘毅が塾長を務める葉隠塾を継承するため、長年所属した極真会館を脱退。
翌9月には「葉隠塾継代空手道成嶋道場」を開設し、自身が理想とする武道空手の追求と指導をスタートさせました。
現在は自身の道場に加え、極真のレジェンドが集う武道団体「KWU戦士(極真世界連合)」の取締役も務めるなど、精力的に活動を続けています。
まとめ
今回の記事では、成嶋竜がどんな空手家だったのかや極真会館を脱退した理由について解説しました。
小柄な体格ながら一撃必殺の左上段廻し蹴りを武器にKOの山を築き、全日本ウエイト制2階級制覇、世界大会ベスト8という偉業を達成したKOアーティスト成嶋竜。
現在は極真会館を脱退し、自身が運営している「葉隠塾継代空手道成嶋道場」や「KWU戦士(極真世界連合)」で、空手の技術と武道精神を次世代に伝えています。

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