極真空手界で組手の天才と称される松井章圭の名をご存知でしょうか?
現役時代は全日本大会優勝、100人組手完遂、世界大会優勝など数々の輝かしい功績を残した空手界のカリスマ!
今回はそんな松井章圭館長について、現役の空手家である僕が深堀りしていきます!
こんな疑問にお答えします
- 松井章圭がどんな空手家なのか知りたい
- 松井章圭の現在の活動が知りたい
- 脳梗塞になったという噂を聞いたけど本当?
記事の信頼性
この記事を書いている僕は、極真空手歴・筋トレ歴ともに20年以上。
15歳で極真会館に入門し、現在も日々空手の稽古に打ち込んでいる現役の空手家です。
松井章圭館長は、僕自身がもっとも尊敬している空手家のひとり。
その組手スタイルは華麗かつ芸術的であり、まさに組手の天才と呼ばれるにふさわしい圧倒的な強さでした!
そこで今回の記事では、松井章圭氏の現役時代の活躍から現在の活動まで徹底解説していきます!
組手の天才!松井章圭とはどんな空手家?
松井章圭は、1963年1月15日生まれで東京都文京区出身の空手家。
現在の国際空手道連盟極真会館(松井派)の館長です。
1975年6月に連載マンガ空手バカ一代を読み、大山倍達に憧れたことがキッカケで極真会館千葉北支部に入門しています。
そして、入門から1年4ヶ月、わずか14歳という当時最年少で黒帯を取得。
また、松井章圭は極真空手の選手としてはけして大きな体ではありません。
しかし、スピードとキレのある上段廻し蹴りや後ろ回し蹴りなどの蹴り技、さらに相手の攻撃に対して繰り出す合せ技で無敵の強さを誇っていたんです!
現役時代の体格は、
- 身長:174cm
- 体重:85kg
第17回・第18回全日本大会で2連覇し、第4回世界大会でも優勝。
さらに、極真空手最大の荒行といわれる100人組手にも挑戦し見事完遂しています。
大山倍達総裁いわく「30年に一人か、50年に一人か、半世紀に一人現れるかもわからない。松井のような人間が今後あらわれるか…」といわれるほど…
このように松井章圭は空手ファンを魅了する、組手の天才の名にふさわしい空手家だったんです!
松井章圭の功績
ここからは、松井章圭のこれまでの功績について深掘りしていきます。
まずは一覧で見ていきましょう!
松井章圭の功績
- 1980年第12回オープントーナメント全日本空手道選手権大会 4位
- 1981年第13回オープントーナメント全日本空手道選手権大会 3位
- 1982年第14回オープントーナメント全日本空手道選手権大会 3位
- 1983年第15回オープントーナメント全日本空手道選手権大会 8位
- 1984年第3回オープントーナメント全世界空手道選手権大会 3位
- 1985年第17回オープントーナメント全日本空手道選手権大会 優勝
- 1985年100人組手完遂
- 1986年第18回オープントーナメント全日本空手道選手権大会 優勝(全日本2連覇)
- 1987年第4回オープントーナメント世界空手道選手権大会 優勝(これを最後に現役引退)
- 1994年大山総裁の死去で遺言書により国際空手道連盟極真会館2代目館長に就任
※現役時代の戦績は50勝6敗
ここからさらに深掘りしていきます!
2-1 デビューから全日本大会優勝まで
第12回全日本大会に初出場した松井章圭は、当時17歳の若さで4位入賞を果たしてその才能を世に知らしめました。
続く第13回、第14回全日本大会では3位入賞し、着実に実力を伸ばしていく。
第15回全日本大会では、光川勝戦で肋骨を骨折するアクシデントに見舞われ8位入賞にとどまりましたが、第3回全世界大会出場の切符を手に入れました。
第3回全世界大会では華麗な組手で勝ち進み、準決勝戦で日本のエース格である三瓶啓二と対決。
惜しくも延長戦で破れたものの3位決定戦で南米チャンピオンのアデミール・コスタを下し、3位入賞という素晴らしい成績を残しています。
そして、世界大会翌年の第17回全日本大会では初の決勝戦進出。
城西支部の黒澤浩樹を破り、念願の初優勝を飾ったんです!
2-2 若干22歳で100人組手完遂!
第17回全日本大会で初優勝を果たした松井章圭は、翌年5月に若干22歳で極真空手最大の荒行である100人組手に挑戦しています。
100人組手とは1人1分30秒間で連続して100人と闘う過酷な荒行で、過去の長い極真空手の歴史のなかでも完遂したのはわずか11名。(2024年現在の公式記録)
序盤は華麗かつ芸術的な蹴り技で一本勝ちを量産しましたが、中盤を過ぎたあたりからさすがに動きが鈍くなる。
90人目以降はボロボロで意識が朦朧とするなか、対戦相手に必死に食らいつき見事に100人組手を完遂しました!
100人組手の記録はこちら。
- 達成日:1986年5月18日
- 組手時間:2時間24分
- 所要時間:4時間
- 一本勝ち:46
- 優勢勝ち:29
- 引き分け:13
- 負け:12
100人組手を完遂した松井館長は、同年11月の第18回全日本大会も優勝して見事に2連覇達成!
翌年の第4回世界大会への切符を手に入れました。
2-3 第4回世界大会優勝
4年に一度開催される世界大会ですが、第4回大会は海外勢が急成長し空手母国日本をもっとも脅かした大会でした。
第17回、18回全日本大会で2連覇を達成した松井章圭は日本代表選手の主将として出場。
初戦から安定した試合運びで一本勝ちを量産し準決勝戦まで進出しました。
しかし、多くの日本選手が海外勢に敗れ、ベスト4に残ったのは松井章圭と増田章の2人だけ…
そして、準決勝戦では増田章がスイスのアンディ・フグに敗れ、残った日本人選手は松井章圭ただひとりとなりました。
準決勝戦の相手はイギリスの強豪マイケル・トンプソン。
お互い気合十分で試合が開始し、足を使って動き回るトンプソンを松井が追いかけるような構図に…
一歩もゆずらない試合展開で本戦、延長戦、再延長戦も引き分け。
本来なら体重判定で松井章圭の勝利でしたが、大山倍達総裁の一声で再々延長戦に突入。
迎えた5回目の延長戦中盤、お互い疲弊したなかで松井が放った右上段廻し蹴りがトンプソンの頭部にヒット!
たまらずマットに倒れ込み、見事な一本勝ちで決勝戦に駒を進めました!
第4回世界空手道選手権大会 準決勝 松井章圭VSマイケル・トンプソン
続く決勝戦の相手は、後のK-1で大活躍するスイス代表のアンディ・フグ。
足技の得意な両者の対決となりました!
試合開始直後から多彩な足技を繰り出すアンディに対して、松井は合せ技を繰り出す展開。
やや松井優勢な試合運びでしたが、本戦引き分けで延長戦へ。
延長戦でも蹴りを多用して牽制してくるアンディでしたが、松井は冷静にさばいて突き蹴りを返し優勢に進めていく。
しかし、決定打がなく延長戦も引き分けで再延長戦に。
再延長線でも松井の合せ技や蹴り技が冴え、繰り出した右上段回し蹴りがアンディの頬をかすめる場面も!
試合中盤、アンディは焦りが出たのか痛恨の顔面強打で減点。
アンディは減点を取り返そうと攻め込むも、冷静に打ち合いそのまま判定へ。
判定4対0!見事に勝利し、松井章圭は世界チャンピオンとなりました!
第4回世界空手道選手権大会 決勝 松井章圭VSアンディ・フグ
2-4 極真会館館長に就任
第4回世界大会を最後に現役を引退した松井章圭は、いったん極真会館を離れ空手の哲学や経営について学んでいます。
そして、1991年に極真会館に復帰して本部直轄浅草道場を開いた後、1993年には極真会館第二次新会館建設委員会委員長に就任。
翌年1994年4月26日、大山倍達総裁が肺がんによる呼吸不全で他界。
遺言書により松井が後継者に指名され極真会館二代目館長に就任しました。
しかし、「遺言書には有効性がない」と大山総裁の遺族が訴え、その後訴訟にまで発展していきます。
東京地裁の裁判では「遺言書は無効である」との判決となり、この騒動がキッカケで極真会館の分裂騒動がはじまったとのこと…
松井章圭の現在の活動は?脳梗塞の噂は本当?
極真会館館長就任から30年ほど過ぎましたが、松井章圭は現在どんな活動をしているのでしょうか?
結論からいうと、今も極真会館の館長として活動しています。
現在では世界各国に200ヵ所を超える支部を配置し、総累計1,300万人を超える会員数の空手団体にまで拡大!
過去には分裂騒動もありましたが、極真空手の普及のために後進の指導にあたっています。
また、ネットでは「脳梗塞になった」との噂が流れましたが、おそらくガセネタでしょう。
>>国際空手道連盟極真会館(松井派)の公式ホームページはこちら
まとめ
今回の記事では、組手の天才と呼ばれた松井章圭氏について現役時代の活躍から現在の活動まで解説しました。
華麗な蹴り技とタイミング抜群の合せ技はまさに芸術!
今でも多くの空手家たちが憧れる存在です。
そして、全日本2連覇に世界大会優勝、さらに100人組手完遂という素晴らしい功績を残した空手家でした!
今後も極真会館(松井派)がどう発展するのか楽しみですね!
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