K-1全盛期にリングで繰り広げられた数々の名勝負。90年代の中心には青い目のサムライ「アンディ・フグ」選手の姿がありました。
代名詞であるかかと落としを武器に、数々の強豪を打ち破る姿に胸を熱くした方も少なくないでしょう。
「アンディ・フグってどんな選手だったんだろう…?」「なぜ若くして亡くなってしまったんだろう…」と、あらためて彼の功績を振り返りたくなった方も多いのではないでしょうか。
本記事で解決できること
- アンディ・フグの人物像について知りたい
- アンディ・フグの戦績が知りたい
- アンディ・フグはなぜ亡くなったのか知りたい
本記事の執筆者
この記事を書いている僕は、筋トレ歴・極真空手歴20年以上を誇る現役の空手家。
これまで極真空手をベースに自重トレーニングやウエイトトレーニング、どちらも本格的に取り組んできました。

今回の記事では、アンディ・フグがどんな選手だったのかや死因の真相について詳しく解説していきます。
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【かかと落としの名手】アンディ・フグとはどんな空手家?
「青い目のサムライ」として日本中で愛されたアンディ・フグ。スイス出身の空手家で、K-1全盛期である90年代に大活躍した選手のひとりです。
アンディ・フグは、誠実な人柄と最後まで諦めないファイトスタイルで多くのファンを魅了しました。
アンディ・フグの生い立ち
アンディ・フグは、1964年9月7日にスイス・チューリッヒ出身の空手家。フランス外人部隊に所属するフランス系スイス人の父親とドイツ人の母親の間に生まれました。
ブルース・リーに憧れて10歳で極真空手の道に進むと、その才能を一気に開花させヨーロッパの頂点に立ちます。
後にピーター・アーツ、アーネスト・ホースト、マイク・ベルナルドとともにK-1四天王として一時代を築きました。
リング上での激しい闘志とテレビ番組などで見せるユーモアあふれる人柄。そのギャップが多くのファンを惹きつけ、K-1の人気を押し上げる大きな原動力となったのです。
現役時代の体格は、
- 身長:180cm
- 体重:98kg

アンディ・フグのハイライト↓↓
極真世界大会で一躍有名に!
アンディ・フグの名が世界に知れ渡ったのは、極真空手の世界大会でした。
1987年に開催された第4回世界大会にスイス代表として出場すると、外国人選手として初の決勝進出という歴史的快挙を成し遂げます。
決勝では惜しくも日本のエースである松井章圭選手(現・極真会館館長)に敗れ準優勝でしたが、その名は一気に世界へ轟きました。

極真第4回世界大会 アンディ・フグvs松井章圭↓↓
極真空手界で組手の天才と称される松井章圭の名をご存知でしょうか?現役時代は全日本大会優勝、100人組手完遂、世界大会優勝など数々の輝かしい功績を残した空手界のカリスマ!今回はそんな松井章圭館長について、現役の空手家である僕が深堀りしていきます!
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K-1の舞台で大旋風を巻き起こす
極真の世界で名を馳せたアンディ選手は、極真会館を退会して正道会館に移籍し、プロの舞台であるK-1に新天地を求めます。
参戦当初は苦戦を強いられますが、不屈の闘志で這い上がり1996年に悲願のK-1GRAND PRIX初優勝を達成。決勝で宿敵マイク・ベルナルド選手を下したこの一戦は、日本中に大きな感動を呼びました。
その後も1997年、1998年と3年連続で決勝に進出するなど、K-1の中心で輝き続けます。
何度負けても必ず立ち上がりリベンジを果たす姿は、まさに不屈の魂を持つ「青い目のサムライ」でした。
K-1GRAND PRIX決勝 アンディ・フグvsマイク・ベルナルド↓↓
アンディ・フグの戦績
アンディ・フグ選手は、極真空手・K-1両方で輝かしい戦績を残しています。
ここでは、彼の功績を「極真空手時代」と「K-1(キックボクシング)時代」に分けてご紹介しましょう。
極真空手時代の主な戦績
- 1985年第3回ヨーロッパ選手権 優勝
- 1987年第4回オープントーナメント全世界空手道選手権大会 準優勝
- 1989年第5回ヨーロッパ選手権 優勝
K-1(キックボクシング)時代の主な戦績
- UKF世界スーパーヘビー級王座(1994年・1996年)
- WMTC世界スーパーヘビー級王座(1996年)
- WKAムエタイ世界スーパーヘビー級王座(1997年・1998年・1999年・2000年)
- 1996年K-1 GRAND PRIX 優勝
- 1997年K-1 GRAND PRIX 準優勝
- 1998年K-1 GRAND PRIX 準優勝
※プロ通算戦績:47戦37勝9敗1分(21KO)

極真空手最大の魅力といえば、フルコンタクトルールで行われる組手試合ですよね!しかし、はじめて観戦する人や極真空手に入門したばかりの人だと、「ルールを知らずに何が起こっているのか分からない…」このように感じている方も多いのではないでしょうか?
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アンディ・フグの死因の真相
2000年8月24日、日本中に衝撃的なニュースが駆け巡りました。アンディ・フグ選手が35歳という若さで急逝したという、あまりにも突然の訃報です。
アンディ・フグの命を奪った病名は「急性前骨髄球性白血病(APL)」という血液のがん。
同年8月上旬から体調不良を訴えて緊急入院しましたが、病気が判明してからわずか数日後の悲劇でした。
アンディ・フグはファンに向け「一番の強敵ですが、私は勝ちます」と力強いメッセージを残していましたが、そのわずか数日後に容態が急変し帰らぬ人となったのです。
最後までファイターであり続けた彼の訃報は、日本中を深い悲しみに包みました。

>>アンディ・フグよ、永遠なれ! (週刊ゴング9/20増刊, 緊急追悼号)
まとめ
今回の記事では、アンディ・フグがどんな選手だったのかや死因の真相について解説しました。
アンディ・フグ選手は「青い目のサムライ」として親しまれ、極真空手時代からK-1のトップファイターとして世界の最前線で戦い続けた伝説の空手家です。
ヘビー級では小柄な体ながら、かかと落としをはじめとする多彩な技と決して諦めない不屈の魂でファンを魅了。1996年には悲願のK-1グランプリ制覇を成し遂げ、日本中を感動の渦に巻き込みました。
2000年8月24日、急性前骨髄球性白血病により35歳の若さでこの世を去りましたが、アンディ・フグの雄姿と誠実な人柄は、今もなお多くの人々の心に生き続けています。

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格闘技に興味がある人なら、誰もが大山倍達の名を聞いたことがあるでしょう。大山倍達は国際空手道連盟極真会館の創始者で、「ゴッドハンド」の異名を持つ伝説の空手家。特に「牛殺し」のエピソードは、その超人的な強さを象徴する出来事として現在でも語り継がれています。
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