
かつて格闘マシーンと呼ばれ、その圧倒的な強さで極真の一時代を築いた伝説の空手家「黒澤浩樹」選手。
圧倒的なパワーと決して折れない精神力の強さで、数々の名勝負を繰り広げた彼の姿に胸を熱くしたファンも少なくありません。
「黒澤浩樹ってどんな空手家だったんだろう…?」「なぜ突然亡くなったのか…死因は何だったんだろう…」と、気になっている方も多いのではないでしょうか。
本記事で解決できること
- 黒澤浩樹の人物像について知りたい
- 黒澤浩樹の戦績が知りたい
- 黒澤浩樹の死因について知りたい
本記事の執筆者

真二(@shinji_sonohata)
この記事を書いている僕は、筋トレ歴・極真空手歴20年以上を誇る現役の空手家。
これまで極真空手をベースに自重トレーニングやウエイトトレーニング、どちらも本格的に取り組んできました。

今回の記事では、格闘マシーンと呼ばれた黒澤浩樹がどんな空手家だったのかや死因の真相について詳しく解説していきます。
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【格闘マシーン】黒澤浩樹とはどんな空手家?
「格闘マシーン」の異名で恐れられた黒澤浩樹。その名のとおり、対戦相手を徹底的に破壊する容赦ないファイトスタイルが特徴でした。
特に彼の代名詞ともいえる破壊的なローキックは、数多くの強豪選手をマットに沈めてきたんです。
黒澤浩樹の生い立ち
黒澤浩樹は、1962年9月6日、東京都品川区出身の空手家。少年期はヴァイオリンや剣道を習う裕福な家庭で育ちました。
中学時代に極真空手の世界に足を踏み入れると、山田雅稔師範が率いる城西支部でその才能が一気に開花。1984年の全日本空手道選手権大会では、初出場にして初優勝という偉業を成し遂げます。
「格闘マシーン」の異名にふさわしく、相手を徹底的に破壊するファイトスタイル。観る者の魂を揺さぶる試合運びとすべてをなぎ倒すローキックで多くのファンを魅了し、極真空手の一時代を築き上げました。
現役時代の体格は、
- 身長:174cm
- 体重:88kg

黒澤浩樹のハイライト↓↓
伝説の名勝負を繰り広げファンを魅了
極真空手の黄金時代、黒澤浩樹は松井章圭、増田章とともに「三強」と呼ばれ、数々の名勝負でファンを熱狂させました。
1991年の全日本ウェイト制選手権大会で見せた姿は、まさに彼の闘志の象徴。試合中に薬指を開放骨折しながらも、ドクターストップがかかるまで戦い続けたエピソードは伝説です。

極真空手界で組手の天才と称される「松井章圭」の名をご存知でしょうか?現役時代は、全日本大会優勝、100人組手完遂、世界大会優勝など、数々の輝かしい功績を残した空手界のカリスマ的存在です。今回はそんな松井章圭館長について、現役の空手家である僕が深堀りしていきます。
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プロ格闘家としても活躍
極真会館の大会から退いた後、黒澤浩樹はプロ格闘家としての道を歩み始めます。
1997年10月に開催されたPRIDE1.では、身長203cm体重130kgのイゴール・メインダートを相手に壮絶な闘いを展開。試合序盤に膝の十字靱帯を断裂する大怪我を負いながら、ドクターストップがかかるまで闘い続けました。(3RTKO負け)
その後極真会館を離れ、翌年1998年に自身の「黒澤道場(後の聖心館)」を設立。後進の指導にあたる傍ら、K-1にも参戦しています。

PRIDE1.黒澤浩樹vsイゴール・メインダート↓↓
黒澤浩樹の戦績
ここでは、黒澤浩樹の戦績をご紹介していきます。
極真空手時代の輝かしい実績と、プロ転向後の壮絶な挑戦の記録を見てみましょう。
極真会館(現松井派)
- 1984年第16回全日本空手道選手権大会 優勝
- 1985年第17回全日本空手道選手権大会 準優勝
- 1987年第4回全世界空手道選手権大会 6位
- 1991年第5回全世界空手道選手権大会 3位
- 1993年第25回全日本空手道選手権大会 6位
- 1995年第6回全世界空手道選手権大会 7位
K-1(キックボクシング)
- vsマーカス・ルイス ◯1R0:56 KO(2000年1月25日)
- vs角田信朗 ✕1R1:53 KO(2000年3月19日)
- vsグレート草津 ◯再延長R終了 判定3-0(2000年5月28日)
- vs滕軍 ✕延長R終了 判定0-3(2000年7月7日)
- vs子安慎悟 ✕1R1:22 KO(2000年10月9日)
- vs村上竜司 △3R終了 判定0-1(2001年1月30日)
- vs平直行 ✕2R終了時 TKO(2001年8月19日)
- vs須田渉 ◯2R2:39 KO(2002年9月22日)
- vsアイヴァン・サラベリー △3R 判定0-0(2023年6月29日)
空手マッチ
- vs角田信朗 ◯3分2R 判定5-0 (1999年7月4日)
総合格闘技
- vsイゴール・メインダート ✕3R1:16 TKO(1997年10月11日)

黒澤浩樹の死因の真相
多くのファンに衝撃を与えた、黒澤浩樹の訃報。2017年3月25日、54歳という若さでこの世を去りました。
公式に発表されている死因は急性心不全。前年に膝の手術を受け、リハビリに励んでいた最中の突然の悲劇でした。
一部では「ステロイドが原因ではないか」という声も囁かれましたが、それらはあくまで噂に過ぎず、医学的な根拠は何もありません。
現役時代の過酷なトレーニングや試合で蓄積したダメージ、そして度重なる大怪我が彼の身体に計り知れない負担をかけていたと考えるのが自然でしょう。

まとめ
今回の記事では、格闘マシーンと呼ばれた黒澤浩樹がどんな空手家だったのかや死因の真相について解説しました。
薬指を開放骨折してもなお戦い続ける不屈の魂で、僕たちファンを熱狂させた黒澤浩樹。
全日本選手権での「初出場・初優勝」という偉業から始まったキャリアは、プロのリングでの過酷な挑戦へと続きました。
54歳という若さで急性心不全によりこの世を去りましたが、黒澤浩樹の強さは想像を絶する鍛錬の賜物。その伝説はこれからも色褪せることはありません。

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格闘技に興味がある人なら、誰もが「大山倍達」の名を聞いたことがあるでしょう。大山倍達は国際空手道連盟極真会館の創始者で、ゴッドハンドの異名を持つ伝説の空手家。特に牛殺しのエピソードは、その超人的な強さを象徴する出来事として現在でも語り継がれています。
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